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このページの目次
 ストライキの具体的方法
 「視聴率第一から視聴者第一へ」
 スト実行委員会の活動について

ストライキの具体的方法
 さて、テレビ業界の下請(したう)けの制作会社が実際にゼネストを行うといっても、具体的に二つの大きな問題が生じる。一つは、どこが主体となってストを実行するかということ、もう一つは放送会社に対する要求の内容である。

 まず、ゼネストを実行する主体だが、テレビ番組の制作会社の団体としては、全日本テレビ番組製作者連盟というのがある。このような団体が主体となって放送会社に要求を(かか)げ、ゼネストを行えるなら、それに越したことはない。なにしろ、主な番組制作会社は皆加入しているわけだから、トップの数人が方針を協議して決めれば、各制作会社に対してストの決行や中止などを自由に命令することもできる。ただ、私はこうした団体の実情について(くわ)しいわけではないが、実際問題としてそれはかなり(むずか)しいのではないかと思う。というのも、この団体は、下請けの要求を放送会社に対して突きつけるというより、双方(そうほう)が協力していい番組を作っていこうという主旨(しゅし)で設立されたという面が強い。実際、各放送会社も賛助(さんじょ)会員として加盟しており、両者は敵対する立場にはなく、むしろパートナーということになっている。また、法的には、ストをするのは労働者であって企業ではない。したがって、実質的に番組制作会社がストを行ったとしても、形式的には番組を作るスタッフや俳優の団体が要求を(かか)げてストを行い、その結果番組が制作できなくなった制作会社が困って、放送会社に彼らの要求を受け入れるよう頼むという形をとることになるだろう。

 では、スト実行委員会を構成するのはどのような団体だろうか。俳優の団体としては、かつてストライキの実施を明言して声優のギャラを三倍にアップする要求を呑ませた日本俳優連合がある。スタッフは、監督・撮影・照明・美術・録音・編集などのスタッフが各分野ごとに団体を持っているが、それらの連絡組織としては日本映像職能連合、日本映画メインスタッフ連合会などがある。映画とテレビの両方の仕事をしている人たちも多いので、両者の組織はたいてい分かれてはいない。そして、これらの組織が主体となってスト実行委員会を構成するのが望ましいが、放送会社との交渉役(こうしょうやく)としては、大物のテレビプロデューサーやディレクターのOBがいいと思う。現役のスタッフでは、のちの“報復”を恐れて放送会社との交渉で強い態度に出られない可能性があるからである。


 次はスト実行委員会が放送会社に対して掲げる要求の内容である。これは大きく分けて次の三つになる。
① 放送会社が番組制作会社に支払う制作費を二倍にする。番組制作会社はスタッフや俳優に支払う給与やギャラを大幅に増やす。

② 放送会社に対し、制作費を大幅に増やしても経営が成り立つように、コスト削減と増収を実現するための具体的な経営改善の提案を行う。

③ 現在の視聴率至上主義を根本的に改め「視聴率第一から視聴者第一へ」のスローガンを掲げて、番組の質向上、視聴者の満足度の向上、放送倫理の確立をめざした大改革を要求する。

 それでは、それぞれの項目の具体的な説明をしよう。

① 放送会社が番組制作会社に支払う番組の制作費を二倍にする。番組制作会社はスタッフや俳優に支払う給与やギャラを大幅に増やす。

 『テレビ局の裏側』によると、テレビ番組の制作費はスポンサーが支払う金額の三割程度だという。これを二倍の六割程度にするというのが第一の要求である。これにより番組の質向上がはかられ、スタッフなどの異常に安いギャラもアップする。また、低制作費による無理な番組制作が減るため、「やらせ」などの放送倫理に反するような行為も少なくなるだろう。

 そもそもスポンサーだって番組制作のために金を払っているつもりだろうし、「(しょ)経費」にその大半が消えてしまっているというのは不本意(ふほんい)だと思う。もちろん、番組を放送するためには番組の制作費のほかの様々な経費が必要だが、その部分であまりにも無駄(むだ)づかいが多いのである。レストランにたとえるなら、番組制作費というのは料理にかかる費用、すなわち食材の費用とコックの人件費である。そしてレストランの支出としては、それがあくまでもメインのはずである。ところが放送会社の実情は、食材の費用をぎりぎりまで切り詰め、コックには300万円の年俸(ねんぽう)しか支払わないのに、それを客まで運ぶウェイトレスには1000万円の年俸を与えている、というようにたとえられる。このコックというのは、実際に番組を制作している下請け会社のスタッフであり、ウェイトレスというのはその番組を電波を使って視聴者へ送る放送会社の社員である。やはりこうした状況は異常といわざるをえない。

 ただ、現在、各放送会社は不況で広告収入が減少し、また地上波のデジタル化に伴う巨額の支出で経営が苦しいという状況にある。こうしたときに放送会社に対し単に「我々に渡す制作費を二倍にしてほしい」と言ったところで、「それは不可能だ」とはね返されるのがオチである。そこで、番組制作会社やそのスタッフなどは、制作費をもっとよこせと言うだけではなく、放送会社の経営改善の具体的かつ現実的な提案までやらなければ、この要求には説得力が欠けるということになるだろう。


② 放送会社に対し、番組制作費を大幅に増やしても経営が成り立つように、コスト削減と増収を実現するための具体的な経営改善の提案を行う。

 私が考える放送会社の経営改善の具体策は、主として次の四つである。
(1) 現在、テレビ広告の取り扱いは電通と博報堂が独占しており、その費用も異常に高い。広告代理店の新規参入を認めて競争原理を導入し、広告関連のコストを下げなければならない。

(2) 報道部門では、臨時ニュースの発生に備えて多数の社員が24時間体制で備えていて、これに莫大(ばくだい)な費用がかかっているという。たとえば、民放各社が共同で緊急時の報道特別番組に備えて報道を専門に扱う別会社を設立するなどして、大幅なコスト削減を実施しなければならない。こうした提案をすると、報道の多様性が失われると批判する人もいるだろうが、大きなニュースが生じたときの報道特番では、どのチャンネルを見ても同じような映像が映っているだけである。臨時ニュースにおける報道の多様性とは、カメラの台数の多さで実現するのではなく、報道に対して各局がどのような解釈をし、どのような意見を持つかで決まるのである。

(3) 放送会社では、警備員のような仕事でも部長待遇で大変な高給を受け取っているケースもあるという。そのような仕事は外部に委託(いたく)し、社員の人員整理や給与の見直しも行わなければならない。

(4) 現在、放送会社は不況により広告収入が大幅に減っており、これを根本的に解決しないかぎり経営の改善はありえない。そんなこといったって国全体の不況の問題は民間企業としてはどうしようもないではないかといわれるかもしれない。しかし、そんなことはないのである。これは筆者の手前(てまえ)味噌(みそ)といわれるだろうが、実際問題として、日本の経済問題を根本的に解決して好況をもたらす最善の政策は、SABOの「八道州・七新都市構想」である。そしてこの政策のメインの一つとなる「日本のハリウッドの建設」は、放送会社と映画会社が中心となって押し進めるべきプロジェクトとなる。また、この新都市の建設は、長期的にみれば、経営のコスト削減、副収入の増加、大地震の際の被害の軽減など、多くのメリットを放送会社にもたらす。したがって、各放送会社はこの構想の実施について協議し、国にその実現を働きかけなければならない。

       
              テレビ朝日                          TBS

「視聴率第一から視聴者第一へ」
③ 現在の視聴率至上主義を根本的に改め「視聴率第一から視聴者第一へ」のスローガンを掲げて、番組の質向上、視聴者の満足度の向上、放送倫理の確立をめざした大改革を要求する。

 さて、放送のスタッフや俳優の所属する団体がこれらの要求を放送会社に突きつけた場合、放送会社はそれを()むだろうか。かつて声優のギャラの三倍要求は受け入れられたが、今度の番組制作費の二倍要求においては、そう簡単にイエスとはいわれないだろう。というのも、放送会社にとっての負担は全く(けた)の違う話であり、場合によっては会社の存続さえ危うくしかねない問題だからである。したがって、交渉が決裂して実際に無期限ストライキに突入する可能性は少なくないのである。そしてその場合重要なことは、このストに対して視聴者や国民の支持が得られるかどうかということである。このような視聴者や国民の生活に影響を与える行為は、世論の支持が得られないと成功は難しい。最初のうちは、給与や待遇でひどい差別を受けている放送番組の下請けのスタッフに対して国民も同情し、ストに対しても理解してもらえるだろう。しかし、大衆というのはある意味で勝手だし、世論は変わりやすい。ストが長引いていくつもの番組が制作中止になると、同情は不満へと変わる可能性が少なくないのである。

 そこで、スト実行委員会は、放送会社に対して単に番組制作費を二倍にしろというだけでなく、視聴者や国民の利益にもなり、彼らの共感を呼ぶような放送業界の改革案を提案する必要がある。また、そのことは結果的に放送業界の体質改善や番組の質向上につながり、長期的には業界の発展に寄与(きよ)することになるだろう。

 まず委員会は、改革のスローガンを提示するのが効果的である。そのスローガンとは「視聴率第一から視聴者第一へ」である。スローガンというのは、戦争中の「生きて虜囚(りょしゅう)(はずかし)めを受けるな」とか、民主党の「コンクリートから人へ」のように、国を誤った方向へ導く愚劣なものでさえ人々の共感を得やすい。それに対し「視聴率第一から視聴者第一へ」のスローガンは、全く正しい考えに(もと)づくものだし、これに反対する視聴者はほとんどいないだろう。そして次には、改革の具体的な項目を並べることになる。

 ただ、スト実行委員会は、現在の放送番組が抱える「やらせ」などの問題に対し、自分たちも「共犯者」であったということは最初に認めて謝罪しておく必要がある。あまりにも制作費が安いためやらざるをえなかったという側面もあるが、自分たちはあくまでも弱者で被害者にすぎないみたいな顏をしてると、国民の反発を招くだろう。したがって、自分たちの今までの非を認め謝罪したうえで次の改革の項目を提示することになる。ただ、これらの項目の詳細については、『テレビ局の裏側』などの本に述べられているので、一部をのぞき簡単な説明に留めたい。

(1)「やらせ」をやめる。
 テレビ番組におけるいわゆる「やらせ」の問題というのは、どこまでが「演出」として許容されるかといった課題もあるが、現在でもとうてい許されないような「やらせ番組」は平然と作られているようである。フジテレビの『逃走中』などという年に何回か放映される番組も、注意して見ていれば、シナリオどおりに作られた完全なやらせ番組であることがわかる。ましてプロが見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)といったところだろう。まさに厚顔(こうがん)無恥(むち)な連中である。

(2)「山場(やまば)CM」をやめる。
 「山場CM」というのは、番組が盛り上がっている途中でCMを入れることにより、CMになっても視聴者がチャンネルを変えないようにする手法である。「結果はCMのあとで」みたいなやり方はよく目にするが、それが最近は特にひどい。CMが終わったあと結果がわかるのかと思うと、さらにまたCMが入ったりする。あるアンケートでは山場CMを86%の人が不快と感じているという。外国では視聴者に不快を与えるようなCMの入れ方は法律で禁止されていることも多く、山場CMは日本では四割に及ぶのに対し、フランスでは0%だそうである。(『テレビ局の裏側』に詳述されている)

(3) フライングをやめる。
 「フライング」というのは、番組を毎正時(しょうじ)ちょうどではなく数分前に始める手法である。私はたまにテレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』を見るが、「あ、9時だ。ちょっと見てみよう」と思ってテレビをつけると、たいていゲストが出演する最初の面白い部分は終わっている。同じような経験をしている視聴者は多いのではないだろうか。ほかの局より早く視聴者を獲得しようとして始めた馬鹿げた手法だが、どの局も同じことをすれば効果はなくなる。それなら一斉(いっせい)にやめればいい。

(4) テロップの使用は必要最小限にする。
 テレビ画面の下に頻繁(ひんぱん)に出るテロップほど「ウザい」ものはない。「山場CM」や「フライング」の不快さは、レコーダーに録画しておけばある程度防げるが、狂気のように画面を汚すテロップはどうしようもない。出演者が話す言葉のほとんどをテロップにする番組を見ていると、このスタッフは精神病患者かと思いたくなる。試みに、今まで多数のテロップを入れていた番組のテロップを完全にやめてみるといい。「正常」というのがどういうことかわかるだろう。

(5) 視聴者を(だま)すような手法はやめる。誇大(こだい)な表現はやめる。正しい日本語を使う。
 ここまで書いてきて、なんだか小学生に道徳を教えているような気がして情けなくなってきた。政治家やマスコミの人間というのは、本来国民の手本となるような人物が中心となるべきなのに、現在の日本は最も下等な人間が多く集まっている世界かもしれない(反社会的団体は別として)。だからこそゼネストという過激な手段を用いても「革命」を起こす必要があるわけだが。

 視聴者を騙すような手法とは、「番組はまだまだ続きます」とナレーションを入れながら、CMのあとすぐに終わってしまうようなケース。誇大な表現は、出演者がしくしく泣いているのに「大号泣(ごうきゅう)」、すこしムッとしただけなのに「大激怒」などの表現を用いる場合。これらは日本語の誤った使用例でもあるが、「VTR」という録画機器を意味する言葉をソフトの意味で使うというような言葉の誤用も常態化している。また、ドラマのセリフで「汚名挽回(ばんかい)」といった誤った表現が出てきたこともあるが、スタッフやキャストは誰も気づかなかったのだろうか(もちろん正しくは『汚名返上』)。テレビに出演する人たちは、最も正しく美しい日本語を使ってほしい……などといっても無い物ねだりなら、少なくともメチャクチャな日本語の表現だけはやめてほしいというしかないだろう。もっとも、このような言葉の誤用は、視聴率第一主義から派生(はせい)していることも多い。その意味でも、「視聴率第一から視聴者第一へ」が必要なのである。

(6) 幼児のテレビの長時間視聴の害について視聴者に警告し、子ども向けテレビ広告の規制を行う。
 はっきり言えば、日本の放送会社の経営者の関心のほとんどは「金儲(かねもう)けと自己保身」であって、放送の社会的使命とか倫理などというものは、自分たちの保身に影響を与えなければどうでもいいと思っている。だから、自分たちに都合(つごう)の悪いことは一切放送しないし、会社の収入を減らすような規制はやろうとしない。

 たとえば、幼児に長時間にわたってテレビの視聴をさせることは、脳の発達などに害があることはよく知られているが、テレビでそれを表明すると視聴率が落ちるため、一切触れようとはしない。放送会社は、次のような日本小児科学会が提言しているような内容を、定期的にテレビで放映すべきである。

・2歳以下の子どもには、テレビ・ビデオを長時間見せないようにしましょう。内容や見方によらず、長時間視聴児は言語発達が遅れる危険性が高まります。
・テレビはつけっぱなしにせず、見たら消しましょう。
・乳幼児にテレビ・ビデオを一人で見せないようにしましょう。見せるときは親も一緒に歌ったり、子どもの問いかけに応えることが大切です。
・授乳中や食事中はテレビをつけないようにしましょう。
・乳幼児にもテレビの適切な使い方を身につけさせましょう。見おわったら消すこと。ビデオは続けて反復視聴しないこと。
・子ども部屋にはテレビ・ビデオを置かないようにしましょう。

 また、子ども向けのテレビCMを見た子供に商品をねだられて困った経験のある親は多いのではないだろうか。もちろんいちいち買うわけにはいかないから拒否するわけだが、子供たちはCMを見るたびに欲求不満が高まっていく。2008年2月13日の読売新聞の記事には、子ども向けのCMについて次のように書かれている。

 「子ども向けテレビ広告に関しては、85%を占める62か国で規制を実施。スウェーデンなど、12歳未満の子ども向けテレビ広告を全面的に禁止している国もあった。しかし日本は他の先進国に比べて規制はゆるく、メディアの発達が遅れている途上国と同程度とされた」
「テレビのキャラクターが企業の商品を宣伝することで子どもの購買意欲を過剰にかきたてる。また、現実とテレビの仮想世界があいまいになり、子どもの発達にも影響が出ることもある」(専門的にはホストセリングといわれる問題)
 当然、先進国なみの規制をすべきである。

(7) 放送会社のプロデューサーなどが番組制作会社などからリベートや贈答品を受け取ることを完全に禁止する。
 特にバラエティー番組などのプロデューサーが、番組制作会社や芸能プロなどから長期にわたって多額のリベートを受け取っていて、テレビ局を解雇(かいこ)されたなどというニュースが報道されることがある。しかし、これらはたいてい総額何億円ものリベートを要求してきたなどというきわめて悪質なケースにかぎられ、氷山の一角と考えられる。下請けの会社などからリベートを受け取ることは単に倫理的に許されないだけでなく、会社に対する背任であり、当然税金も払ってないから脱税でもある。したがって彼らは犯罪者であり、マスコミに巣くう最も下等で汚れた連中といえよう。

 したがって放送会社は、単にリベートの受取りを徹底して取り締まるだけでなく、中元・歳暮(せいぼ)などの贈答品の受取りも禁止し、もし贈ってきた場合は、それを会社に提出することを義務づける。会社側は送り主にそれを送り返し、丁寧(ていねい)に「今後こういうことのないようお願いします」と頼む、というしだいである。

(8) 偏向報道をやめる。マスコミ倫理審査会の監修による自己批判番組を放映する。
 「偏向報道はいたしません」と言いながら偏向報道をするのはテレビ局の“お家芸(いえげい)”のようなものであり、どんなに批判したところで「(かえる)(つら)に水」かもしれない。もっとも、放送局によって違いもあり、一番ひどいのはテレビ朝日とTBSであろうか。テレビ朝日など、大株主の朝日新聞でさえ社説で民主党を強く非難しているのに、民主党や小沢一郎全面支持のピエロのような“評論家”を並べて発言させていた。「うちの報道部門は、民主党の報道局です」とはっきり言えばいいのである。

 もっとも、最近は、本来「国益重視」のサンケイ新聞系列であったはずのフジテレビが、テレビ朝日とTBS以上にひどい偏向した放送を行っている。韓国の様々な工作によって、韓国を持ち上げ、日本を(おとし)めるような放送をくり返しているのである。たとえば、日本と韓国のスポーツ戦を「日韓戦」ではなくて「韓日戦」と呼び、日本が優勝したときの表彰式は放送しないのに、韓国の表彰式は放送する。日本のスポーツ選手をけなして韓国の選手は持ち上げる。ドラマの中にも日本や日本人への憎しみを表した表現を用いる、など。これは韓国が単にフジテレビや、テレビ界に絶大な影響力を持つ電通に金銭的な攻勢をかけているだけでなく、多くのスパイをもぐり込ませているとしか考えられない。もはや両社の関係者を国会に証人喚問すべき段階にきている。

 倫理的に地に落ちた放送界、および新聞業界の「倫理革命」を実現し、(よみがえ)らせるためには、外部の有識者で構成されるマスコミ倫理審査会を設け、この審査会の監修によるマスコミの自己批判番組を放映するしかないだろう。番組は週に一度、日本テレビ、フジテレビ、TBS、テレビ朝日の四つの系列の持ち回りで放映される。午後7時から11時の間のプライムタイムに生で放送する一時間番組である。内容が「マスコミのタブー」をことごとく破るものなので、スポンサーは付きにくいだろうが、各放送会社が月に一度、一時間番組を「寄付」することでマスコミが浄化されるなら、きわめて安い支出といえよう。

 内容はまず、二週間前から七日間に放映された民放、およびNHKの番組の検証である。特に偏向報道とやらせについては厳しく追及する必要がある。そして各放送会社は審査会に全面協力し、審査会が要求するビデオや資料などをすべて提出しなければならない。また、この番組の中で、問題がある番組の一部を放映することも当然認める。

 また、直近の番組だけでなく、過去の番組に(さかのぼ)って問題をあぶり出し、追及しなければならない。特に、報道番組の政治における極端な偏向報道の批判は欠かせない。自民党政権時代には、些細(ささい)なことでも狂気のように批判していたテレビが、民主党政権には太鼓持(たいこも)ちに徹し、また太鼓持ちの評論家をやたらと出演させている。かつてテレビ朝日報道局長だった椿(つばき)貞良氏が、「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」と言って問題になったが、まさにこの前の衆議院選挙では各テレビ局の報道が「総椿化(そうつばきか)」したのである。こうした極端な偏向体質が改善されないかぎり、放送会社の放送免許を取り消すべきだろう。

 そのほかテレビ・新聞の過去における偏向報道も取り上げる必要がある。なぜ中国の文化大革命の大虐殺やチベット侵略と大虐殺について報道をしなかったのか。同和問題について報道してこなかったのか。また、テレビや新聞の電通や創価学会との癒着(ゆちゃく)、新聞の「押し紙問題」についての追及も当然しなければならない。これらの重大問題を報道しなかったということ自体が、偏向報道でもあるからである。新聞の社説の批判も是非ともしてもらいたい。実際、過去に橋本政権が消費税率を上げたことを批判していた新聞が、よりひどい不況の現在、こぞって消費税率を上げろと主張しているなど、新聞の社説は矛盾だらけである。さらに問題として取り上げるべきなのは、読売新聞の渡辺恒雄(つねお)会長が政治家と癒着し、自分自身が政治を動かそうとしていることである。これはジャーナリストとしての倫理にもとる行為なのではないか。トップがこうした行動をしている新聞社に公正な報道など期待できない。これについては是非(ぜひ)とも渡辺会長自身に番組に出演してもらって、その弁明を聞きたい。

(9) スポンサーに必要以上に気をつかうな。
 ドラマなどでスポンサーの販売する商品をセットの中に配置し、それをスポンサーの要望により写すようにするというようなことはしばしば行われる。しかし、そのためにドラマの演出として不自然になることも少なくない。こうしたことは『テレビ局の裏側』に詳しく述べられているが、ドラマを作品として考えた場合、これはプロデューサーや監督の創作に対する不当な介入(かいにゅう)といえるだろう。昔はスポンサー側もそんなにうるさくなかったそうだから、次第に悪習が広まったといえる。基本的に放送会社はこのようなことは拒否し、次のように説明すべきだろう。

 「スポンサーの会社の中には美術展に協賛するところもあるでしょう。そのとき自分たちは金を出しているのだから出品する絵の中に自社の自動車や電気製品を描いてほしいなどと言うでしょうか。あるいは、ピカソやルノワールの絵の横に自社の化粧品や食品を並べてほしいと要求するでしょうか。しかし、あなたがたの要求していることはそれと同じことなのです。私たちが制作しているテレビ番組は、作品であって広告の道具ではありません。広告はCMとしてきちんと放映しているのですから、そのような不当な要求は今後一切さしひかえていただきたい」

 それでも要求が通らなければスポンサーを降りるなどと無理を言う企業があれば、ペナルティーを科すことも必要だろう。すなわち、その企業名を公表し、一定期間、日本中のすべての放送局でのCMの放映を禁止するのである。

スト実行委員会の活動について
 以上が私が考えた、スト実行委員会が放送会社に対して要求する内容である。もしこの内容が視聴者・国民に広く正確に伝えられたなら、世論の支持を得、それが委員会にとって大きな支援ともなるだろう。しかし、実際問題として、それには大きな障害があるといわざるをえない。というのも、現在の世論はテレビと新聞が作っているという側面が強いが、そのテレビを支配している放送会社を敵に回すことになるわけだし、その大株主の新聞の支持も得にくいため、世論操作という面でかなり不利な闘いになると予想されるからである。

 今までも、日本のテレビ局は自分たちの利益にとってマイナスとなるような報道は可能なかぎり避けてきた。この問題についても、おそらくそんな問題はこの世に存在しないみたいな態度をとろうとし、スト実行委員会にも(おど)したりなだめたりしながら、なんとかことを穏便(おんびん)にすませようとするだろう。しかし、スト突入が不可避となれば、しかたなく事実を簡単に伝えるぐらいはするだろうが、委員会の要求、特に視聴者が共鳴するような放送の改革などの内容については全く報道しないと考えたほうがいい。

 これに対して新聞はどうだろう。読売や朝日など大新聞は放送会社の大株主ではあるが、さすがにこの問題に関してはある程度の報道は実行するだろう。現在の放送界の抱える問題点や、スト実行委員会の要求についても最低限の報道はすると思う。ただ、放送会社の経営に打撃を与えるようなことは自社の経営にも直接影響するため、社説では次のような当たりさわりのない主張をするのではないだろうか。

「たしかに現在、放送会社の社員と下請けの番組制作会社の社員や契約社員との給与などの格差は大きく、彼らが待遇の改善を求める気持ちは理解できる。しかし、現在の放送会社は不況の影響で広告収入が減り、また地上波のデジタル化に巨額の費用がかかることもあり、経営的に大変苦しい状況にある。そのようなときに制作会社に支払う制作費を二倍にせよというのはあまりにも過大な要求であって、非現実的といわざるを得ない。また、要求が通らなければストライキに入るということだが、その結果多くの番組が制作中止に追い込まれれば視聴者の反発も招くだろうし、双方(そうほう)が傷つく結果となるだろう。したがって放送会社とスト実行委員会は歩み寄り、話し合いによって理性的な解決を模索(もさく)してもらいたい」

 「話し合いによる理性的な解決」というのは一見理想的であるように思える。しかし、物事を根本的に解決するには過激な方法を取ったほうがうまくいくことも少なくないのである。たとえば、タバコのポイ捨て問題について考えてもらいたい。タバコのポイ捨てというのは本来喫煙者のマナーの問題であり、路上で喫煙している人から罰金を取るなどという過激なことはすべきでないと長年いわれてきた。しかし、歩行喫煙者に百万回マナーのことを言ったってポイ捨ては減らない。結局、彼らから罰金を徴収するという過激な政策を実行することにより、路上の吸殻(すいがら)は消えたのである。もし、彼らにマナーを守るよう呼びかけるというだけだったら、この問題は永久に解決しなかったろう。また、かつて声優たちが要求が通らなければストライキを決行すると宣言してギャラの三倍増を実現させたことは、以前に述べた通りである。問題は、そうした過激な行動をとる勇気があるかどうかである。

 この放送界の問題も、放送会社とスト実行委員会が話し合い、放送会社が支払う制作費をわずかに増やす程度のことで妥協してしまったら、放送界の改革などは全くできないまま終わるだろう。これに対し、「制作費を二倍に増やす」というのを実行するためには、放送会社は「革命」ともいえる業界や社内の大改革を遂行(すいこう)せざるを得なくなる。そしてこのことは経営的にも倫理的にも、そして番組の質の向上という面でも、放送界を(よみがえ)らせることにつながるだろう。したがって、スト実行委員会は、要求が通らない場合ストに突入することを躊躇(ちゅうちょ)してはいけないし、安易な妥協でストを中止してはならない。それはのちに後悔を生むだろうから。

 とはいっても、やはり世論に対して最も影響力のある放送会社を敵に回し、新聞も協力してくれないという状況は、大衆の支持を受けるという面で厳しいことは事実である。したがって独自の世論対策をしなければならない。

 まず、最初に出版界に働きかける必要がある。週刊新潮や週刊文春など、今までテレビ業界に対して批判的な記事を載せていた週刊誌には、スト実行委員会の主張を伝えて協力的な記事を載せてもらうよう頼み込む。月刊の文藝春秋に委員会の委員長の主張を掲載(けいさい)するよう依頼することも必要だろう。

 しかし、現在最も大きな武器はインターネットである。当然スト実行委員会のホームページを作り、委員会の主張や要求している内容について載せる必要がある。ただ、単に文章だけだとすべてを読んでくれる人というのはあまり多くないのではないかと思う。そこで委員会の主張まとめた五分ほどのビデオを寸劇の形式で作成するといいだろう。テレビでよくやる再現ドラマのようなものである。ビデオ作成は自分たちでやるわけだから、さほど費用はかからないだろう。

 ビデオの内容について述べると、まず、最初に、テレビ番組制作会社の現場のスタッフなどが低賃金で長時間働かされている悲惨な状況、放送会社の社員との賃金格差などについて描写する。そして制作費が少ないため「やらせ」など放送倫理に反することをやらざるをえない状況についても説明し、自分たちが求めている制作費を二倍に増やすということも、決して過大な要求ではないということを大衆に納得させるのである。

 次に不況下で放送会社が下請けに支払う制作費を大幅に増額することを可能にするため、委員会が要求している放送会社自体の大改革についても説明する。しかし、これは専門的な話なので、ごく簡単でいい。そして、最後に、「視聴率第一から視聴者第一へ」のスローガンをかかげ、自分たちが要求しているのは単に制作費を増やせということだけではなく、番組の質を向上させ、視聴者が不快に感じているCMの挿入方法などを規制するということも含まれるということを説明する。私が先程あげた放送における多くの改革案を手短(てみじか)に伝えるわけである。「視聴率第一から視聴者第一へ」のスローガンは大衆の共鳴を得やすいから、このビデオそのもののタイトルにしてもいい。

 五分間のビデオにこれだけ多くのことを盛り込むのは大変だろうが、あまり長すぎても見てもらえないので、何とか実現してもらいたい。そしてこのビデオは、委員会のホームページで見せるだけでなく、You Tubeなどにも提供し、可能なかぎり多くの人に見てもらえるようにする。

 以上が私が考えた委員会の世論対策だが、委員会は放送会社との実際の交渉においてどのような心構えで望めばいいのだろうか。交渉の内容について妥協してはいけない点、妥協してもかまわないところはどこだろうか。

 まず、妥協してはいけない点だが、制作費を二倍に増やすことや放送会社の内部の改革案、そして番組制作やCMについての改革案などがそれである。すなわち私があげた改革案の具体的内容については妥協してはいけないということである。放送会社は大改革をすることはしんどいから、様々な理由をあげてこれを回避しようとするだろう。しかし、この内容で妥協してしまっては改革は腰砕(こしくだ)けになり、それは放送会社のためにも番組制作会社のためにも、そして視聴者のためにもならない。

 では、妥協してかまわない部分というのはなんだろうか。それは改革の期間や制作費アップのための猶予(ゆうよ)期間である。私があげた放送会社の内部改革というのは一年間で完全実施できないものもあるだろう。「八道州・七新都市構想」にしても、それにより本格的な好況がもたらされてテレビCMが増えるには数年かかるかもしれない。したがって、番組制作費を二倍に増やすことは、五年がかりで段階的に実行するというのが現実的だと思う。すなわち一年目は現在の制作費の20%のアップ、二年目は40%のアップというようにして、五年目に100%アップの完全実施を行うということである。ただし、番組制作やCMの入れ方の改善などは今すぐにでもできることである。したがって、これらについては一年以内に実施させなければならない。

 そしてこのような条件で双方が合意したとしても、スト実行委員会は形を変えて放送会社の改革の進捗(しんちょく)状況について見守る必要がある。というのも、放送会社は口では大改革を実行すると言っても、実際は社内の反対が大きくて改革に及び腰になり、その結果、コスト削減などが思うように進まず、スト実行委員会に約束した制作費の増額が実行できなくなる可能性もあるからである。したがって、そのような可能性がある放送会社に対しては、番組制作会社などから取締役や監査役などを派遣し、改革が確実に実行できているか監視する必要もあるかもしれない。また、放送会社の社長が改革に不熱心だったり、能力的に劣る場合は、社長の交代を要求する必要もあるだろう。

 そして、番組制作やCMの挿入方法の改善などについても、確実に実行されているか検証を続けなければならない。また、スト実行において主導的役割を果たした番組制作会社やスタッフなどに対して、仕事を減らすなどの「報復」が行われていないかについても、監視する必要がある。


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