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      八道州・七新都市建設の提言 3
            -第二章 「新首都」と「新産業都市」-
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 新首都
 新産業都市

新首都
 「国会等移転審議会」は首都機能移転先の最終候補地として阿武隈(あぶくま)・那須(福島県・栃木県)、東濃(とうのう)西三河(にしみかわ)(岐阜県・愛知県)、三重・畿央(きおう)(三重県・滋賀県・京都府・奈良県)の三つの地域を答申した。そしてこの中から衆議院国会等移転特別委員会で移転先を一つに絞り込むはずだったのだが、結局、首都機能移転は中止されることになってしまった。〔首都機能移転が凍結されたのは、2003年のことである〕

 しかし、考えてみれば、このような結果になるのはある程度予想されたことだったといえるかもしれない。前にも指摘したように、新都市が建設される場所が一カ所だと、その地域以外の人々はその計画に対し熱意を持てず、その結果それが国民的合意に結び付きにくいのである。したがって首都機能移転も、本来、日本という国家の新しいシステムをどのように創造してゆくかという壮大な構想であるはずなのに、新都市を誘致したい地方と、首都機能を取られたくない東京の綱引きという情けない構図に矮小化(わいしょうか)されてしまうのである。

 首都機能移転はスケールが大きすぎて非現実的だと思っている人が多いかもしれない。しかし、これはじつは逆で、首都機能のみの移転はスケールが小さすぎる、あるいは中途半端(ちゅうとはんぱ)なため非現実的なのである。すなわち、スケールが小さくて新都市を建設する地域が日本中で一カ所しかないため、それ以外の地域の人たちは移転に反対したり無関心になったりする。また、スケールが小さすぎるため、東京一極集中解消の効果も限定的である。さらにスケールが小さすぎるため、その経済効果も現在の不況を克服し、国の財政再建を可能にするほどには及ばない。したがって、現在の日本の様々な問題を解決する唯一の「現実的」な方法は、私の提案する「八道州・七新都市構想」しかないといえよう。

 しかし、その七新都市の中でも、昔からその実現について様々な議論をされてきた新首都というものの重要性が大きいことはいうまでもない。ここでは、新首都についての私の意見を述べようと思う。(もっとも、新都市を建設しても首都は東京ということにして東京のメンツは守ろうということらしいが、そのような問題は些細(ささい)なことであるので、ここではわかりやすいように新首都という言葉を使うことにする)

 まず、首都機能は最終候補地とされていた三地域のうちどこに移転すべきだろうか。まず、いえることは、この三地域のうち阿武隈・那須地域ははずすべきということである。というのも、ここはあまりにも首都圏に近すぎるため、首都圏の一極集中を解消するという首都機能移転の目的に合致せず、また全国からの交通アクセスという点からも不適当だからである。では残りの東濃・西三河、三重・畿央のどちらがよいかといえば、基本的に私はどちらでもよいと思っている。ただ、「八道州・七新都市構想」では、のちに説明するように中部州には別の新都市を建設する案があるので、各道州のバランスを取るという意味では、近畿地方に新首都を建設するのが妥当ではないかと思う。そして、私がここに新首都を建設したらよいと考えるのにはもう一つ理由がある。

 それは皇居の問題である。現在の首都機能移転構想は皇居を東京にそのまま残す案が有力である。皇居まで移転すると、東京都や都民が首都機能移転自体にさらに強く反対するだろうという配慮からだろうが、新首都と東京の皇居が遠く離れていると、様々な不都合が生じることは明らかである。たとえば、新首都が関西に移転したとしよう。すると、首相と各大臣、それに天皇や皇族はしばしば東京と関西の間を行き来しなければならない。きわめて不便であり不合理である。特に外国の元首などが来日して天皇と首相の両者に会見することは頻繁(ひんぱん)に行われ、問題が大きい。やはり、新首都と皇居は同じ場所か、地理的に近い必要がある。

 桓武(かんむ)天皇以来、千年の長きにわたって皇居は京都にあった。明治維新のときも、明治天皇は「行幸(ぎょうこう)」という形で東京へ移られたが、その後も東京遷都(せんと)は正式に発表されることはなかったのである。だから関西には天皇陛下が京都に戻られることを期待する人が少なくない。私は東京の出身だが、政治機能が移ったあとの巨大経済都市東京は、天皇・皇族の居所(きょしょ)としてふさわしいとは思わないし、古式に(のっと)った皇室の儀式も、古都京都にこそなじむと考える。また、東京都民にしても、新都市に皇居を取られるのではなく、天皇陛下が京都御所に戻られるというのなら、あまりメンツをつぶされずにすむのではないだろうか。したがって、皇居と宮内庁は京都市に移転することが望ましいと思う。(京都御所は、東京の吹上(ふきあげ)御苑(ぎょえん)と較べて狭いと感じる人がいるかもしれないが、イギリスのバッキンガム宮殿の三倍以上の広さがあり、皇居として充分な大きさといえよう)
              京都御所
                首都移転の際には、天皇陛下は京都御所に戻られることが望ましい

 それに皇居が東京から移転することは、東京に住む人たちにとっても、必ずしも悪いことではない。というのも、現在の吹上御苑や赤坂御用地が、公園として一般に開放される可能性が出てくるからである。もし吹上御苑が公園になれば、皇居東御苑と一体となった巨大な公園が都心に出現することになる。あるいはそれが無理なら、赤坂御用地が公園になるかもしれない。いずれにしても、皇居が移転する見返りとして、少なくともどちらか一方は公園として開放されることを都民は要求する権利があるといえよう。
 そして、皇居、そして宮内庁が京都に移るとすれば、新首都が近畿にあることが最も望ましいということになる。実際、三重・畿央というのは日本の人口重心・地理的な中心に近いという点からも、新首都建設の場所としてふさわしいといえよう。
              皇居・二重橋
               首都移転後の東京の吹上御苑は、新宿御苑のように公園化してほしい

 ところで、首都機能移転の必要性やメリット、それにその具体的構想については、堺屋太一氏の『「新都」建設』や八幡和郎氏の『遷都』〔いずれも現在は絶版〕といった本に詳しく述べられているので、私はここで改めて論じるつもりはない。ただ、新都市の建造物について私には三つほど注文があるので、それについて指摘しておきたい。また、これは新首都にかぎらず、七つの新都市に対する共通する要求でもある。

 その第一は、新都市に建設するすべてのビルに免震構造を導入してもらいたいということである。これはビルの土台に積層ゴムなどを使って地震の揺れを吸収する建築技術であり、阪神大震災以後注目されている。地震の揺れ自体を大幅に減らせば、家具の転倒や火災の発生も防げるわけで、震災対策としては理想的といえよう。また、木造住宅においても、現在簡易式の免震構造を取り入れたものが発売されている。したがって、新都市の一戸建て住宅もすべて免震構造にすることが望ましい。(住宅の免震構造が費用がかかりすぎてできないケースは、効果は落ちるが、制震構造という、より安価なシステムもある)そのほか、新都市では交通機関の支柱などにも免震構造を取り入れたり、水道管・ガス管・電線などは共同溝に入れるなどして、都市全体を「震度7の大地震が来ても、びくともしない完全な防災都市」にしなければならない。

 第二は、道路に関する注文である。近頃は歩道を自転車が我が物顔で走っているが、歩行者は危なくてしかたがない。歩道を自転車が走ってもいいという規則は、交通事故を防ぐために応急的な措置として行われたはずなのだが、なぜか新しく作られる道路でも自転車専用レーンというのは見当たらない。かといって、歩道の真ん中に線を引いて歩行者と自転車を分けるという方法は、あまり意味がない。新都市の道路は、歩道と車道の間のガードレールを車道側に一~二メートルずらし、その間を自転車専用レーンにしてもらいたい。

 第三に、新都市の主要なビル、たとえば国会議事堂や首相官邸などの屋根にソーラーシステムを取り付けることを提案する。国会議事堂の屋根一面にソーラーパネルを張りつけたらデザイン上問題があるのではと言う人もいるかもしれないが、たとえば、オーストラリアの首都キャンベラにある国会議事堂は、屋根に芝生が敷き詰めてあり、市民が自由にその上を歩けるようになっている。このことが、政治は国民を高い所から見下ろすのではなく、市民の生活を足元から支えているのだということを象徴しているともいえよう。日本の国会議事堂の屋根が太陽光発電の装置になれば、日本が世界に率先して新エネルギーの開発と普及に取り組み、また地球環境の保護に力を入れているということを、世界に向けてアピールすることになろう。

 また、新都市の住宅やマンションにもソーラーシステムを設置することを義務づけたらどうかと思う。新都市は土地が賃貸方式なので、住民は住宅の取得にさほど費用がかからないし、マンションの家賃も安い。したがって、ソーラーシステムにかかる費用を捻出(ねんしゅつ)する余裕は充分にあると考えられるからである。実際、これらの都市が建設されるころにはソーラーシステムの価格も現在よりかなり安くなるだろうし、七つの新都市の住宅すべてにそれが設置されれば、さらに大量生産効果によりコストは下がるだろう。そのことが全国のほとんどの新しい住宅にソーラーシステムが設置される契機となるかもしれない。そうすればまさにこの新都市建設事業は地球温暖化防止など地球環境を守る事業ともなるわけで、このことは「新都市の建設は自然破壊につながる」という自然環境保護運動を行っている人たちの批判に対抗する論拠ともなるだろう。

 ところで、環境問題に関する話が出てきたので、新首都などの新都市建設は、果たして環境に対してプラスになるのかマイナスになるのかということについて述べておきたい。結論を先にいえば、七つの新都市建設は、短期的には環境に対してマイナスとなるが、長期的にはプラスになるということである。これは省エネ家電を購入すると、そのときはかなりの出費になるが、長期的には電気代が節約できて得をするということに似ている。

 環境に対して長期的にはプラスになるという理由は、一つには、今述べた、ソーラーシステムを新都市のすべてのビルと住宅に設置するということによるが、それだけでなく、新都市の住宅は最新の設備を取り入れた長寿命の省エネ型住宅になり、環境に優しいということがいえる。また、このことは見逃されがちだが、新都市が「完全防災都市」であるということも、地球環境を守るという点においても重要なポイントである。東京や大阪などで大地震が起きた場合、多くのまだ住める家が倒壞し、場合によっては大火が起きて都市のかなりの部分が焼け野原になる。これにより多くの人命や財産が失われることが最大の問題だが、地球環境という点から見ても、まだ住める家が破壊されることは資源の無駄になるし、大火災によって発生する熱と膨大な量の二酸化炭素などは地球環境を汚染する。その点、新都市のような完全防災都市を増やしていくことが、環境面でも重要といえよう。

 また、新都市建設は日本経済と国家財政の破綻を防ぐことになるが、このことは環境を守るという観点から見ても、不可欠である。かつて経済が破綻した旧ソ連においては、凄まじいほどの環境破壊が行われていた。環境を守るというのは金がかかることであり、貧しい国では国民のその日の生活を守ることで精一杯で、とても環境対策まで金が回らないのである。日本がそのようにならないためにも、八道州・七新都市構想は実現させなければならない。

新産業都市
 「新産業都市」と聞いて、皆さんの中には工業団地のようなものを想像する人がいるかもしれない。もっとも、そのように誤解するのも無理はないだろう。なにしろ今まで霞が関の官僚は、あらゆる方法を使って主要な企業の本社機能を東京に集中させ、地方には工場ばかりを建設させたからである。これにより政治的な中央集権と同時に、本社は東京、工場は地方といういわば「経済的中央集権」も実現させたのである。仮に道州制の導入と首都機能の移転が実現したとしても、大企業の本社が東京にばかり集中しているという経済的中央集権の現状を打破しないかぎり、地方分権が正常に機能するとは思えない。政治と経済は不可分の関係にあるからである。そこで、私は東京にある大企業(一部は大阪の企業も含む)の本社を集団で移転させて地方に三つの新都市を建設する新産業都市構想を考えた。首都機能移転の一形態として政治機能を複数の箇所に分散する方式を「分都」というが、これは「経済的分都」といえよう。

 では、具体的にどのような業界の企業を、日本のどこに移転すればよいのだろうか。まず、最も可能性の高い業界をあげれば、エレクトロニクスや電機などの業界であろう。これらの業界は、アメリカの例をみてもわかるように、銀行や保険会社のように大都市に本社があるから有利とはいえないし、その必然性もない。その一方で、優良な大企業が多く、これらが地方に移転した場合の地方経済活性化の効果がきわめて大きいからである。具体的な社名をあげれば、東京に本社のあるNEC・ソニー・日立製作所・東芝・富士通・三菱電機、キヤノン、富士写真フイルム、それに大阪のパナソニック・三洋電機・シャープといった会社である。これらの大企業がその関連会社や下請けの会社などと共に移転して、人口三十万人から六十万人程度の新都市を、東北・中国・九州の三州に建設するというのが私の構想である。もっとも、三都市ともエレクトロニクス・電機関係の産業都市になる必要はないわけで、そのうち一つは別の業界の都市になってもいいし、また多くのベンチャー企業もその中に入れるなど、様々な形態が考えられる。
              マイクロソフト本社
       アメリカの優良企業のほとんどは、首都からはるかに離れた地方にある(写真はマイクロソフト本社)

 ただ、たとえばアメリカでは、かつてニューヨークの地価が高騰してオフィスの賃貸料が上がったとき、
IBMを始めとする企業は次々と地方へ移転していったが、日本の場合、大企業が東京から地方へ移転したという例は皆無に近いだろう。したがって、私の構想を各企業に納得させるためには、新都市に移転することで得られるメリットがきわめて大きいことを理解してもらわねばならない。そのために、次に、企業が東京に本社を構えることのメリットとデメリットを分析して、それを新都市に移転した場合と比較してみようと思う。

 最初に、企業の本社が東京にあることのメリットの一つめだが、その企業の役員や社員が政治家や官僚と付き合ったり、あるいは役所の許認可を受けたりするのに便利ということがある。しかし、今後規制緩和が進めば、企業が役所の許認可を受ける回数も減るだろうし、首都機能が移転されれば、当然東京にいてもこれらのメリットはなくなる。

 第二のメリットは、各業界団体の本部はほとんど東京にあり、また主要な企業の経営者も東京にいるので、企業のトップが業界団体の活動をやりやすいということがある。しかし、新産業都市は同じ業界の企業が多数同時に移転するので、その結果業界団体の本部もこちらのほうに移るだろう。したがって、その活動も新都市で同じように続けられることになる。

 第三のメリットは、東京には様々な娯楽施設や文化施設、それにデパートや商店などがあり、社員がそれらの便利さや楽しさを享受しているということである。それに対し、それらの乏しい地方に本社を移転すると、人材の確保にも問題が出てくると心配する企業もあるかもしれない。確かに、欧米の大企業のように一社だけ単独で田舎に移転したりすれば、自然の美しさより都会の便利さを尊ぶ日本のサラリーマンには敬遠される恐れがある。しかし、新産業都市は人口三十万人から六十万人に達する近代的な都市である。いくつものデパートやショッピングセンター、ホテルや娯楽施設・文化施設などができるのはもちろん、都市によっては大学を誘致したり、あるいはテーマパークを作ったりもするだろう。東京ほどの娯楽・文化の多様性には欠けるとしても、充分に楽しく便利な生活が送れるはずである。

 次に第四のメリットだが、「産業の集積」という点においても、企業が東京に本社を構えることは有利といえる。中谷(いわお)氏は『日本経済の歴史的転換』の中で、企業が特定の地域に集中すると、その産業集積の効果により、アメリカのシリコンバレーやハリウッドのように競争力のある産業が生まれると述べている。日本では、たとえば東京の大田区・品川区などの大企業の電機・機械関連の部品の金型(かながた)などを作る中小零細企業の大集積がこれにあたる。この集積の力が日本の機械産業の競争力の源泉になってきたというのである。したがって、もし企業が東京から移転すれば、これらの産業の集積から遠ざかり、企業活動にとってきわめて不利になってしまう。しかし、新産業都市への移転にあたっては、これらの中小零細企業群も大企業と一緒に移り新たな産業の集積を形成することになるので、そのような心配はいらない。またその際、各企業は、二十一世紀型の産業の集積とはどういうものかを考え、首都機能の移転にあたって大胆な行革が行われると予想されるのと同様、新産業都市への企業の移転の際にも、各企業の大幅な改革が断行されるのではないだろうか。

 このように、以上あげた四つのメリットのうち第二、第三、第四のメリットは、各企業が地方へ単独で移転した場合は失われてしまうが、集団で移転して新都市を建設すれば維持することができる。また、何事も横並び志向が強く「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という意識の強い日本の企業は、他社がやらないことを行うのは不安を感じるが、ほかの企業がそろって行うことには同調しやすい。むしろ、同業者が皆新都市へ移転するのに、自分の会社だけ東京に残るというほうが不安になるだろう。これらのことが私が、日本において大企業の地方への単独移転は非現実的だが、集団移転して新都市を建設することは実現性が高いと考える理由である。

 では次に、企業の本社が東京にあることにおけるデメリットについて検討してみよう。

 まず、最初にあげられるのは、東京の地価が高く、その結果としてオフィスの賃貸料が高いことである。もっとも、自社ビルを持っている企業においては、戦後の地価高騰(こうとう)は会社資産の増加を意味し、必ずしも悪いことではなかった。しかし、現在はこれ以上の地価上昇は見込めず、むしろ高い固定資産税などデメリットのほうが大きい。東京本社のビルと土地は売り払って、地価の安い新産業都市へ移転したほうが得策である。

 デメリットの第二は、社員の長時間通勤である。日本の企業はもともと勤務時間が長いが、これに平均して往復三時間もの通勤時間が加わるのだから、社員はたまったものではない。しかも、日本の通勤電車は先進国に例を見ない押し合いへし合いの通勤地獄。その中でも、チカンという犯罪者におびえる女性のストレスは、格段に高まる。企業にしても、新幹線通勤などが増えると、通勤手当てのコストもばかにならない。ところが、新産業都市へ移れば職住接近が実現し、場合によっては、会社への徒歩通勤さえ可能になるのである。住宅も広くて家賃も安い。東京と比べれば、まさに天国と地獄である。

 次に、企業が東京に本社を構えていることの第三のデメリットだが、いつかは来る大地震により、会社および社員が甚大(じんだい)な被害を受けると予想されることである。首都機能移転に反対する学者などがよく「日本中どこにいても地震は起きる」とか反対理由を述べたりするが、これは地震の被害に対する根本的な無知にもとづく発言である。地震の被害は、家屋の倒壊など第一次被害に続き、火災発生など第二次被害が起こり、さらに水道・ガス・電気・交通などが停止する第三次被害、そしてその結果起こる全国的・全世界的な活動と機能の麻痺(まひ)による経済的損失の第四次被害がある。驚くべきことは、第二次被害は都市の規模の二乗に比例し、第三次被害は三乗に比例、さらに第四次被害は都市の規模と機能集中度の四乗に比例するということである(堺屋太一氏の『「新都」建設』による)。すなわち、地震の起きる都市の規模が十倍になれば(たとえば、人口百四十万人の神戸市で起きた大地震が人口千四百万人の首都機能のある都市全体で起きれば)、火災の被害は百倍になり、水道・ガス・電気・交通などの被害は千倍、そしてその結果の機能麻痺などによって国、および世界に与える経済的損失は、さらにケタが二つほど増すことになる。

 また、東京都が発表している大地震に対する被害予測などは、それによって発生する火災による被害を異常に低く見積もったマヤカシといわざるをえない。先程産業の集積地の例としてあげた大田区なども火災危険度の高い地域であり、大地震の際は、阪神大震災のときの神戸市長田地区のように、焼け野原となる可能性が大なのである。また東京にかぎらず、大地震の活動期に入ったといわれる関西にある大阪なども、危険度という点では変わらないといえよう。

 それに対し新産業都市は、以前提言したようにすべてのビルや住宅を免震構造にすれば、大地震が起きても、被害はごく小さなものに抑えられるだろう。

 また、近年、富士山の噴火についても、その危険性が指摘されている。従来ややもすれば“空想的”と考えられがちだった富士山噴火だが、火山噴火予知連では活火山である富士山の噴火は将来必ず起きると警告している。もし富士山が噴火すれば、東京も数センチの降灰に見舞われて道路の視界が(さえぎ)られ、長期にわたって交通が麻痺してしまう。その際の巨大都市東京の混乱ぶりは想像を絶するものであろう。しかし、新産業都市の建設地は火山噴火の被害を受けない場所を選べば、心配はいらない。

 以上のように、東京にある大企業は新産業都市に移転することにより、「トップの業界団体の活動」「社員の都市施設に対する要求」「産業の集積」の三点において有利というメリットを維持したまま、「高い地価」「社員の長時間通勤」「大地震や富士山噴火の際の甚大な被害」という三つのデメリットから逃れられるのである。それでも、まだ東京に留まる理由があるだろうか。そしてもう一つ重要なことを付け加えれば、この新都市建設により経済が活性化されて景気が回復すれば、各企業も自社製品の売上げを伸ばして会社の業績を向上させることができるということである。国に対して「景気をなんとかしてくれ」と要求するばかりでなく、企業自らがこの事業に参画して新都市に本社を移転する、それにより内需を拡大して景気をよくするのだというくらいの気概を持ってもらいたいものである。

 では、具体的にこの新産業都市はどこへ移転すればいいのだろうか。移転する企業が東京・大阪にあるわけだから、各道州間の経済的均衡(きんこう)をはかるという目的からして、関東・近畿に建設しても意味がない。また、やはり州内総生産の大きい中部も、移転場所としては避けたほうがいいだろう。かといって、寒冷な北海道や、経済規模が最小で、かつ本州と行き来するのに本四連絡橋の高い通行料を支払わなければならない四国では、企業が難色を示すと思う。必然的に、東北・中国・九州の三州ということになる。

 まず東北州について考えると、以前首都機能の誘致を表明していた宮城県南部は、東北の中では比較的気温が高く積雪も多くない。東北最大の都市である仙台にも近いので、その空港やホテルなどのインフラを活用できるメリットもある。したがって、東北では移転候補地として最有力といえよう。中国州においては、岡山県西部が新都市建設においてよい条件がそろっているというので、移転候補地にあげた。九州では、もし筑紫平野に新産業都市を建設できれば地理的にも望ましいと考えたため福岡県南部と佐賀県南部を候補にあげたが、ほかに適地があれば、もちろんそちらでもかまわない。要は、新都市の誘致を希望する地域と、そこへの移転を望む企業の意見が一致することである、といえよう。

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